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会社情報 ブランドストーリー

1986年〜現在

コンプレッサのラインナップを充実

スクリューコンプレッサ
中小形コンプレッサで、確固たる国内シェアを獲得した当社の次なる狙いは、大形機開発と得意分野である無給油式コンプレッサの強化であった。しかし、独自製品であるシングルスクリューコンプレッサは3次元の複雑な構造で、製造コストが高く、品質の安定化が困難で、オイ ルフリー化が難しいことから、戦略の核となる製品には据えられなかった。当時、中・大形コンプレッサにはスクリュー、ターボなどの圧縮方式があり、すでに多数の製品が発表されていた。当社は新たに開発するには開発期間とコストの面でリスクが大きいと判断し、品質・性能に加えて供給機種が豊富な提携先を模索することにした。スウェーデンに本社を置く世界的なコンプレッサメーカのアトラスコプコ社が候補に上がり、1989年1月にアトラスコプコ岩田株式会社を共同出資で設立し、アトラスコプコ社より圧縮機本体のみの供給を受けてツインスクリューコンプレッサとツースオイルフリーコンプレッサを製造し、当社の販売網に乗せて発売した。
ツースオイルフリーコンプレッサ
1999年、同社によるノックダウン生産方式は価格競争力と供給面で限界を迎え、同社を清算した上でアトラスコプコ社からのOEM 供給に切り替えるが、中形レンジの厳しい市場競争の中で、この供給形態の継続は難しいと判断し、完全自社開発・自社生産を目指すことを決断するに至った。2009年には、塗装機事業を通じて長年のパートナーとして密接な関係にある台湾有数の企業集団を形成する友嘉実業有限公司との合弁で、中国浙江省杭州市に杭州阿耐思特岩田友佳空机有限公司を設立し、当社独自のツインスクリュー、クロー式圧縮機本体の開発に取り組み、これを用いた圧縮機ユニットの加工・組立を開始した。2012年には、給油式中形圧縮機「Exact Airシリーズ」と、ドイツの国際的認証機関であるTÜV(テュフ)より“Class 0”の認証を取得した無給油式中形圧縮機「Absolute Airシリーズ」を発売した。これによって当社製のコンプレッサバリエーションは60Wのエアポンプから3.7kWの中形圧縮機へと拡大し、しかも、給油・無油式共にこれだけの機種を揃えて 自社で製造しているメーカは多くはない。一方、Pシリーズは1980年発売以来、当社の主力レシプロコンプレッサとして順調に売上を伸ばしていた。ただし、オイルフリー機に関しては、他社製品と同様、2,000~3,000時間ごとにピストンリング周りのメンテナンスが必要で、オイルフリー機普及の足かせとなっていた。
オイルフリータンクマウントタイプコンプレッサ
こうした弱点を克服し、しかも低価格・高性能の小形レシプロコンプレッサとして登場したのが、1995年に発売された「COMGシリーズ」(オイルフリーは1996年発売)であった。COMGシリーズではコスト低減と機能アップのため、細かな部品まで、1点1点見直しが行われた。また、海外メーカとの部品の共有化や部品のグローバルな調達も強力に推進した結果、従来を上回る高性能ながら低価格を実現した。懸案だったオイルフリー機では、ピストンに熱硬化性樹脂を使用し、10,000時間の耐久時間を実現した。また、オイルフリーの欠点であったパワーもオイル機並みに引き上げられた。COMGシリーズのオイルフリー機はスムーズに市場に受け入れられたばかりでなく、製品としての完成度が高かったため、マイナーチェンジ以外の改良はなく、今日に至っている。2000年、当社の往復圧縮機は新たなステージを迎えた。インドの有数の企業集団であるマザーソングループを新たなパートナーとして、アネスト岩田マザーソン社を設立し、給油式往復圧縮機の世界供給拠点工場を稼働させると共に、インド国内向け圧縮機販売・サービス会社としてエアファクトリー・エナジー社を設立した。これにより給油式レシプロ本体をインドで、無給油式レシプロ本体を福島工場で生産し、世界へ供給するマザー工場体制を確立した。

世界初のスクロールコンプレッサ 開発

SLP-Fシリーズ
当社のコンプレッサ戦略の核となったのが、オイルフリースクロールコンプレッサの開発であった。スクロールコンプレッサは渦巻状のラップを2枚かみ合わせ、空気を圧縮するもので、飛び抜けて静粛性能がよく、小形クラスのコンプレッサに最適と云われていたが、技術的なハードルが極めて高く、世界有数のコンプレッサメーカでも開発を諦めていた。当社は1985年頃から開発に着手、耐熱素材の探索、チップシール材の開発、精密な空冷ハウジングの設計等の困難な課題を一つずつクリアしていった。そして1991年3月、世界初のオイルフリースクロールコンプレッサ「SLP-22」(2.2kW)、「SLP-37」(3.7kW)を、続いて2.2・3.7kW 本体を多台数搭載した5.5kW~15kwを発表することができた。SLPシリーズは、静粛性はもちろん、当時10,000時間というオイルフリーコンプレッサとしては驚異的な耐久時間を達成し、市場から賞賛をもって迎えられた。2000年には小型の圧縮機本体を搭載したSLP-07・15を、2004年には本体多台搭載を拡大し、空気使用量に応じて最適運転を可能とするマルチステージ制御機能を搭載した22kW~30kW機の「Think Airシリーズ」を発売し、0.75kW~3.7kWまでの本体1台搭載機を対象とする「Smart Airシリーズ」と併せてオイルフリースクロールコンプレッサの領域を拡大した。更に、2014年には耐熱被膜処理を採用した新型圧縮機本体を搭載した「Fシリーズ」を開発し、これは2016年度の省エネルギー機器表彰で資源エネルギー庁長官賞を受賞している。尚、2004年に当社で開発された世界初のオイルフリーブースターコンプレッサ「CFBSシリーズ」、続いて発売されたモーター直結式の「EFBSシリーズ」は、工場内エアラインの低圧化と部分昇圧を可能とする優れた省エネ機器として高い評価を得て、2009年の省エネルギー機器表彰で日本機械工業連合会会長賞を受賞、その後も新設・リピートで評価を高め、海外工場での採用へと利用拡大している。

欧州・北米への再進出~ グローバル化へ

左から:イタリア、フランス、イングランド
1990年当時、当社の国内シェアはコンプレッサ30%、スプレーガン70%という高いシェアを保持し、岩田ブランドとして一定の評価を得ていたが、国内市場の開拓はほぼ限界にきており、社業発展のためには海外、特に欧米での拡販が必要だった。しかし、1968年に一度欧州市場への進出に失敗した苦い経験があるため、改めて綿密な市場調査と戦略立案を行った。欧州再進出第一号は1989年のイワタイタリア社(トリノ)設立であった。次いで1991年11月、1993年のEU発足を睨み、欧州全域における販売の総指揮を執るイワタヨーロッパ社が設立された。その後、1992年にはフランスのリヨン市郊外にイワタフランス社、1993年には英国ウィンボーン市にイワタUK社を設立し、イワタヨーロッパ社をヘッドクォーターとする西ヨーロッパ販売網を構築した。以降、各社とも社名をアネストイワタのグループ名に変更し、2000年スウェーデン、2007年スペイン、2010年ロシア、ドイツ、2012年南アフリカ、2014年ポーランド、アラブ首長国連邦に販売会社を設立した。2016年にはアネストイワタヨーロッパと塗装機器製造会社であるエアグンザ社を合併してアネストイワタストラテジックセンターとし、開発・生産・物流機能を持つ欧州市場から世界の市場をカバーする塗装機事業の戦略マーケティング拠点とした。欧州の圧縮機事業は、長年に亘りアトラスコプコ社との提携により、圧縮機本体の提供を行ってきたが、自社ブランドでの欧州展開を目指し、2012年にアネスト岩田エアテック社をト リノに設立し、更にドイツの圧縮機メーカであるババッツ社を買収して生産機能をもつ販売会社を設けた。
圧縮機事業での北米進出もほぼ同時に行った。当時アメリカのコンプレッサ市場は、インガーソルランド社、クインシー社などの世界規模の企業がシェアを独占していたが、主流は鋳物製の給油式であった。当初は本体供給を主体に進めていたが、1988年にスコット&フェッツアー社と合弁でパワーレックスイワタエアテクノロジー社を設立して現地生産し、医療・製薬などのオイルフリーエア市場に絞って販売を展開、予想以上の成果を上げることができた。その後、北米地区の汎用圧縮機市場と真空機器市場の開拓を目指して、2011年にアネスト岩田エアエンジニアリング社を、2014年には南米への展開を図るためアネスト岩田エアザップ社を設立した。北米の塗装機事業は、1994年アネスト岩田USA、1998年アネスト岩田メディアを設立、2010年にはアネスト岩田ブラジル、2016年アネスト岩田メキシコを設立した。アネスト岩田メディア社はエアーブラシ事業の中核会社として世界展開を担っているが、2017年にドイツのエアーブラシメーカーHARDER & STEENBECK社をグループに加え、すでに世界で認知を受けている“iwata”ブランドと、欧州を中心に展開されてきた“HARDER& STEENBECK”ブランドを以て、製造・販売・サービスの拡充強化を図ることとなった。

アジア・ASEANへの進出

海外における生産拠点設立に本格的に動き出したのは、1980年代の半ばからである。1986年8月に1ドル152円、翌1987年に11月には134円を記録するほどの急激な円高によって生産コストが上昇し、増収を増益に結びつけられなかった。そこで、国内の生産コスト高に対応すると共に、市場としても有望な台湾での生産に踏み切ったのである。1987年8月、塗装機器を生産する台湾岩田塗装機股份有限公司(現、岩田友嘉精機股份有限公司)を、地元企業のひとつであった友嘉実業有限公司と折半出資で設立した。1990年代に入ると、中国大陸に工業化の波が押し寄せてきた。将来、中国が必ず有望な市場になると見て進出の足がかりを探ることにし、1992年10月に上海気動成套廠と合弁で上海岩田塗装機械有限公司(現、上海阿耐思特岩田塗装機械有限公司)を設立した。アジアの塗装機器販売は、1996年の経営改革・社名変更の時期に呼応して、従来の一国一代理店制から脱し、自社拠点の設立と販売ネットワークの拡充でその体制を変えてきた。中国では、2006年に塗装設備・塗装ブースの生産を担う東莞阿耐思特岩田機械有限公司を設立した。中国での塗装機事業の販売機能は2003年8月に上海市に設立した阿耐思特岩田産業機械(上海)有限公司に委ねた。同社は中国国内主要都市に8拠点を保有し、中国の生産拠点で生産されるすべての製品とアネスト岩田製品を取り扱うほか、アフターサービス、中国以外のアジア諸国への販売も担当している。アセアン地区の販売機能は、2002年設立のアネスト岩田サウスイーストアジア社、2006年設立のアネスト岩田マザーソンコーティング社、2013年設立のアネスト岩田ベトナム、2014年にはアネスト岩田インドネシア、ミャンマー駐在所が設置されている。
オセアニア地区は、アネスト岩田オーストラリア社が担っており、同社は2016年に現地エアハウスのブロードベンド社の事業を吸収して圧縮機の販売・サービスも取り扱うこととなった。圧縮機事業では、2002年6月にコンプレッサ等を生産する嘉興阿耐思特岩田産業機械有限公司を、2005年に韓国で設立したアネスト岩田コリア社を設立している。アセアン地区の圧縮機生産供給拠点としてアネスト岩田サウスイーストアジア社をタイに設立した。中国では、2011年に阿耐思特岩田(上海)商貿有限公司が設立されている。国内では、圧縮機の修理・部品供給を専任する部門として1995年にアネスト岩田サービス株式会社を設立、2015年には圧縮機専門の販売部門となっていたアネスト岩田株式会社の国内営業部門を統合して、アネスト岩田コンプレッサ株式会社に社名を変更して再スタートし、のちに真空機器の販売も行うことになった。国内の塗装機事業の販売・サービスを担うアネスト岩田コーティングソリューションズ株式会社は、塗装機市場における顧客満足の向上を目的にビフォア・アフターサービスに徹するサービス専門の会社として2007年に設立され、アネスト岩田国内営業部より、塗装機製品・塗装設備の販売も移管されたことで、より塗装現場に近い位置で活動を実施している。以上は近年の動向をご紹介したが、現在も国内外における販売生産ネットワークの拡充は続き、更にグループ会社間での機能再編を繰り返し、拡充・強化を進めている。

構造改革とアネスト岩田の誕生

話は前後するが、1990年になると好景気と実体経済との乖離が激しくなり、ついに1991年、わが国の景気は急激な下降に転じた。バブル経済の崩壊である。景気後退で市場は一気に縮小し、バブル期の需要に応えるべく拡充した生産設備は一転して過剰投資となった。バブル崩壊の影響が出始めたのは1991年後半からで、自動車、電気製品、住宅建築関連市場で需要低迷が始まった。1993年、当社は経営改革元年を宣言し、長期化する不況を見据えてビジネスのグローバル化と、日本型経営の欠点にも対応した抜本的な経営改革に着手した。テーマは「戦略経営の推進」と「企業体質の革新」であり、21世紀プロジェクトとして組織、制度、戦略、社風に至るまで、あらゆる分野での再構築に取りかかった。
1996年10月、当社は創業70周年を機に社名を「アネスト岩田株式会社」と改めた。「アネスト」とは、「Active & Newest Technology」、すなわち「常にいきいきとした活力と、新規性のある技術力を持った開発型企業」を表している。また、「真摯:EARNEST」「正直:HONEST」をかけ、当社創業以来の社是である「誠心(まことのこころ)」を継承としてコーポレートマークも一新した。併せて「アネスト岩田ビジョン」を制定し、改革への強い意志と意欲を新社名に込め、当社は再スタートを切ったのである。その後、2014年にはグローバル展開の促進を目的として、「アネスト岩田グループ経営理念」を制定している。1993年から開始された構造改革活動は、業績回復に一定の効果をもたらしたものの、不況は一向に止む気配なく、当社の業績も1997年には再び減少に転じた。1998年からは更に厳しい環境下に置かれ、当社はまたしてもサバイバルの中に身を置くこととなったが、徹底した不況対策と次世紀へ向けた構造改革の実行と供に、成長への投資を怠ることなく決断してきた。その甲斐もあって2002年から6期連続の増収増益を記録したが、喜びも束の間、2008年のリーマンショック、2011年には福島工場にも実害が及んだ東日本大震災を経験し、当社の事業と経営は更に鍛えられることとなった。

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